「口元から全身も健康にする」そう標榜して患者さんの治療に尽力しているのが、丸橋全人歯科の丸橋賢理事長だ。ホームページには「木を見て、そして森を見る医療」とある。歯だけを診ていたのでは、本当の意味での健康にたどり着けないということなのだろう。そうした治療の成果か、肩こりや頭痛、自律神経失調症といった全身症状改善のためにやってくる患者さんもいるという。さて、どんなお考えでそうした治療法に至ったのか。丸橋理事長にお話を伺った。
元々僕は小説を書きたいと思っていて、大学の文学部に入学しました。哲学や文学を学ぶつもりでしたが、実際に勉強を始めると、僕のやりたかった創作活動とは違うことが分かった。そこで小説を書き始めたのですが、小説では生活していけないと思い、歯学部に転部。小説を書きながらアルバイト感覚で仕事をするには、歯科医がいいのではと考えたわけです。
しかし、歯学部に入ると、これが僕とは相容れない世界。歯という小さな部分しか見ていないのです。文学に関心のある僕としては、細部とともに全体、本質を見ようとする。だから、居心地が悪かった。大学卒業後は医局に1年いましたが、その頃はもう同人誌に小説を書いていました。新聞に取り上げられたこともあります。そこで本格的に小説を書こうと思い、歯科医の方は週4日東京でアルバイト的に勤務していました。けれども、歯科医療の実態が、僕からするとあまりにも本質から外れているので、自分がなんとかしなくてはと思ったのです。それで、アメリカの歯内療法学会に入って学びました。学会発表をして、スペシャリストの資格も取り、優秀な若手に与えられる賞も受賞しました。
ただその一方、僕は当時体調不良に見舞われていました。子どもの頃からやっかいな病気を繰り返し、高校・大学時代は外食が多く、不規則な生活が続いたこともあり、絶不調の日々でした。そんな体調不良を抱えたまま、30歳で開業。その後も激務やお酒、偏った食事が続き、3年後には急性膵炎で倒れました。入院して治療し、腹部の激痛は収まったものの、体力・気力ともにやっとの思いで仕事をしていました。
その後も体調不良は続き、「医者では治せない何か根本的な理由があるのかもしれない。」そう思い至ったのが、30代半ばでした。まず考えたのは、食生活についてでした。当時、朝はバターまたはジャム付きのトーストにハムエッグ、砂糖入りの紅茶。昼は外食か店屋物でした。そこで、健康と食関係の本を読み漁り、まず注目したのは、松井病院の日野厚博士でした。日野先生は、食事改善を主として慢性病を治す研究をしていて、松井病院に食養内科を開いていました。日野先生が主宰する研究会に入会して学び、食養内科に体験入院もしました。10日間の体験入院の後は、体調はかなり良くなり、体力もついてきました。退院後、家での食生活を改善すると、以前よりずっと健康になりましたが、慢性膵炎と頑固な肩こりはまだ続いていました。
食事の他にもう一つ考えたのが、咬み合わせです。強い肩こりのある患者さんに、正しい補綴物(*)を入れ、咬合調整をすると、患者さんの肩こりが解消する事例がありました。それをヒントに、同僚に咬合調整をしてもらうと、肩こりが明らかに軽減したのです。当時の咬合調整は、今ほどの完成度はありませんが、それでも大きな効果がありました。そこから体調も上向き、慢性化していた膵炎も徐々に治っていきました。「体を再調律」すれば、体に本来備わっている潜在的な能力が発揮され、元気になる。この体験が、私の「全人医学観」のスタートラインになりました。
*補綴(ほてつ)とは、歯が欠けたり無くなったりした時に、人工物で補うこと。
「全人医学」とはWhole person medicineといって、古代ギリシャを代表する医者、ヒポクラテスの医学観を源流とするものです。ヒポクラテスは、2400年以上前に原始的な迷信や呪術と混同されていた医術を科学的なものへと発展させました。当時彼は、エーゲ海の小島、コス島にアスクレピオンという大学病院規模の建物を建て活動していました。手術室や浴室、図書館なども完備していたようです。その図書館に残っていた彼の全集が編纂されて、日本でも2種類出版されています。紀元前460年頃のものですが、歯の発生学も書かれています。衛生学や食物は元より、部分を診て判断してはいけない、全身を診よう、心も診よう、と書いてあるのです。あの頃に、近代的な医学をここまで全人的視点で体系化していたとは驚きました。
それが、V・E・フランクル、ゲーテ、アンリ・ポアンカレといった医学者や科学者に受け継がれ、現在に至っています。ただ「全人医学」はあっても、これまで「全人歯科医学」はなかったのです。僕が始めてです。関連する膨大な数の本を読みまくり、ヨーロッパの学会にも参加しました。「全人歯科医学」とは、歯と全身、すなわち精神(心)も含め、その関係性を読み切って診断する。その患者さんのベストチューニングを探し当て、それに合わせた咬み合わせを作る。僕は治療という臨床的な仕事でも、自分の思想の表現として捉えてきました。ですから、「全人歯科医学」にも、背景に哲学がないといけないのです。
患者さんが何をしたら元気になれるか。これはもう確立できています。まずは咬み合わせを調整する。人間は二足直立ですから、咬み合わせを調整して、頭部を背骨の真上に合わせ、姿勢を正す。これが基本となるハードです。ソフトは食事です。食事を整えれば、その人が本来持っている力を発揮することができます。あとは、心の持ち方をポジティブにして、休養と運動(労働)のバランスを取る。この4つが揃うとスーパーチューニング状態になります。
これを患者さんに理解してもらうには、チェアサイドで話したくらいではダメなのです。そこで、「良い歯の会」という健康教室を始めました。開業して6年目の1981年に開始し、月に1度の開催ですが、40年以上休むことなく続けています。会では、歯に関してはもちろん、食や環境問題、経済や政治についてもお話します。今の世の中に危機感をお持ちの方は多いと思います。そんな時代でも、会にご参加のみなさんには、強い知性と体で生き抜いてほしいと考えています。
「良い歯の会」でお勧めしている食事のポイントをご紹介すると
歯に関していえば、近年は虫歯が減ってきています。虫歯は教育と関係していて、暮らしの民度の高い地域では子どもに虫歯はありません。ただ、今の子どもたちは軟らかい物を食べているため、歯並びや咬み合わせの悪い子が多い。子どもだけではありません。一般に90%以上の人は、下の歯(下顎)が左へ回転しています。要因は一つではないと考えられますが、いろいろな説があります。一つは地球の自転から受ける力のためという説。テニスや卓球、トラック走なども左回りになっていますが、左回転運動を主とする文化の問題。また、心臓が左にあることが原因だという説もあります。いずれにしろ、左回転した咬み合わせを矯正する、補綴を被せる、あるいは歯を削るなどして、ど真ん中で噛めるように正す。そうすると体全体のバランスが整います。
クリニックへは、口コミを元に不登校になったお子さんもやって来ます。朝起きられない、活力もないといったお子さんでも、咬み合わせを調整することにより元気になり、学校に行けるようになっています。そうしたお子さんを何人も診てきました。「良い歯の会」の機関誌では、元気になった患者さんの手記をご紹介しています。
「全人歯科医学」は、ヒポクラテスに端を発しているため、僕はヨーロッパを中心に世界中を見てきました。海外に行くと必ず、市場に行きます。その国の人がどんなものを栽培し、どんなものを食べているのか。レストランはもちろんですが、畑に行き、家庭料理も見せてもらいます。そうすると、日本の食べ物との違いを大きく感じます。ヨーロッパのパンは硬いです。添加物も日本よりずっと規制が厳しい。アジアの国々はなかなか難しい。環境汚染が進むなど、問題が多々あります。日本も、食を始め課題が山積していますが、教育や政治が変わっていかないことには何も変わらないでしょう。
僕らの仕事は手仕事で、やれることに限度があります。しかし、ここまで築き上げてきた「全人歯科医学」の理解者、体験者を増やしていきたい。それが増えないと、日本の歯科医療は変わらないと思っています。そのためにも「良い歯の会」の活動を今後も続け、健康に暮らすための情報を強力に発信していきたいと考えています。
丸橋 賢(まるはし まさる)
1944年群馬県生まれ。東北大学歯学部卒業。同学部助手を経て、1974年丸橋歯科クリニックを開業。1981年「良い歯の会」活動開始。2004年群馬県高崎市に「丸橋全人歯科」を開設。現在、丸橋全人歯科理事長。アメリカ歯内療法学会、日本歯内療法学会を中心に、日本全身咬合学会、日本口腔インプラント学会等で活動したが、現在は退会し、全人歯科医学に全力を投入している。主な著書に『観察力‐確信を育てる』(NTT出版)、『全人的治療への道』(春秋社)、『新しい歯周病の治し方』(農山漁村文化協会)他。
丸橋全人歯科ホームページ
■丸橋理事長の著書をご紹介
『歯を疑え! 医療の常識を変える全人歯科医学の力』
幻冬舎 1,760円(税込)
咬み合わせの調整をベースに絶好調≠可能にするという「全人歯科医学」。その「全人歯科医学」を支える四つの柱となる大事なポイントや実際の咬み合わせの調整方法、心身の不調が改善した患者さんの手記など、全貌をわかりやすく解説。丸橋理事長の研究と臨床結果がこの一冊に凝縮。
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