玄米酵素

食改善を推奨する医師・医療従事者へのインタビュー

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医療の本質は「交流」。
目の前の患者さんの価値観にどう寄り添うか。

健康増進クリニック 院長
水上 治 先生

医療の本質は「交流」。
目の前の患者さんの価値観にどう寄り添うか。

がんや難病の治療・予防をメインに診療する「健康増進クリニック」院長・水上治先生。先生は、半世紀前から「超高濃度ビタミンC点滴療法」という副作用のほとんどない安全ながん治療に取り組んできた。標準治療だけでなく、免疫療法などの補完医療を含め、患者さんのQOL(生活の質)を最大限良くする方法を提案するという水上先生。そうした治療方針に至った背景や経緯、医療や食に対する先生のお考えを伺った。

小学生の頃から本の虫、高校1年でプラトン全集を読破

元々僕は文系で、小学生の頃から本の虫。今も1日1冊読んでいます。それでも、中学1年の時に医師から、「君は総理大臣になれても医者にはなれないよ」と言われた時は大ショックでした。遺伝的体質により、当時の医学部入学条件を満たしていなかったわけです。今からすれば差別だったのですが、もう自分は文系で生きるしかない。誰にも言えず、ずっと隠していました。トラウマでした。

ただ僕自身は明らかに文系で、中学の頃は特に感受性が鋭く、「自分はなぜ生きているのか」など、高尚な難問に悩んでいました。本好きだから、哲学書を片端から読み、高校1年の時には、プラトン全集を読破。プラトンの次はアリストテレス、そしてカント…。大学は文学部の哲学科に行こう。京大で西田(幾多郎)哲学を研究したい。そう思っていたのですが、高校3年の時に大恋愛して、勉強が全く手につかなくなったのです(笑)。当然、受験は失敗。そこで悶々としていたのですが、彼女のことは忘れ、ここでもう一度自分の人生をリセットしようと思いました。

僕は子どもの頃から、何らかの形で人の役に立てたら幸せだと思っていました。そこで、頭デッカチの哲学科へ行くより、もう少し人助けになるようなことはないか。そう思った時、あの時代は世界的ヒーローがいたのです。ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツァー博士。神学者でかつ哲学者、オルガニストとしても名声が高く、そのうえ医学部に入り直して医者になった人。アフリカの奥地に診療所を建てて、現地の人々に生涯を捧げた。ああいう人になりたい。でも自分は、体質的に医学部はダメか、と思ったのですが、ちょうど時代が変化し、受験が可能になったのです。医学部に転向しよう!大胆ですよね。理系は真面目にやってこなかったけれど、落ちてもいいやと受けてみたら、弘前大学に受かりました。

医学生時代に食養≠ニ出会う、「玄米を介して医療を実践したい」

受験の直前に転向して、運良く受かったはいいけれど、同級生は理系だから、話が全然合わない。理系の秀才というのは、当時から数字や統計学的なものを重視するデジタル思考。僕は、それよりも目の前の患者さん一人一人に役立つような医療はないだろうか、と思ってやっぱり本を乱読していたのです。それで出会ったのが、玄米食による"食養"の本。医師で血液学者だった森下敬一先生の本で、「玄米を食べると、いろんな病気が治る。がんも治る、あるいは予防できる」と。そうか、食べ物が細胞を作るのだから、食べ物はエネルギーだけではなくて、人間にとっての原料なのだな。するとこれが、僕の求めている丸ごと医療≠ゥ、とすっかり心酔しちゃったのです。

それからは、玄米一筋。いろんな人に「なぜ玄米か?」と聞かれると、「米とは玄米であり、白米は粕です。丸ごと取った方がいい」。もうそれだけ。当時、3食付きで一万円だった下宿を飛び出し、アパートに移って圧力釜を買い、玄米食を開始しました。圧力釜で炊くともっちりとして美味しいのです。大学にも玄米おにぎりを持って行ったので、奇異の目で見られました。でもその頃から、「玄米食を介して医療を実践したい」と思うようになりました。

その後は、食養の切り口で医学のリストラクチャー(考え方の再編)を自分の頭の中でしてきました。大学での勉強には違和感を感じるも、医師資格を取るために一生懸命やって…。ただ、例えば内科の治療は薬を使いますが、やはり森下敬一先生等の影響があって、化学物質(薬)は異物だ、しかし、玄米は自然物だ。自分は玄米食で風邪もひかず体調もいいから、こういう自然物の延長線上の医学も絶対あるはずだ、と考えたのです。

日野厚先生の下、統合医療を学ぶ。玄米食の良さは患者さんからも

大学卒業後は医局に残らず、大阪大学に行こうと思いました。衛生学者で「森永ヒ素ミルク事件」を告発した丸山博教授がいて、教室員が断食療法をやっていたのです。6年生の夏に訪ねたら、残念ながら定年だという。

そこで、北品川総合病院の第三内科(食養内科)へ行くことにしました。当時(1973年)ここは500床あった総合病院で、内科が3つあり、第三内科は玄米を病院食にしていたのです。これは自分に合っている、と思いました。そこには日野厚先生という、今でいう統合医療の日本一の医師がいました。西洋医学も大事にするが、患者さんには玄米自然食を勧める。あの頃は玄米酵素もいいサプリメントもなかったので、自然療法として「断食療法」を行っていました。今でいう「ケトン食(断糖食)」です。断食療法は当時の心療内科ではかなり行われていました。医学的管理下で、何日間か絶食すると、自律神経失調症や心身症、不眠症が改善するという論文がたくさんありました。

ですから、病院で断食(絶食)療法をすることに、違和感はありませんでした。それどころか、食養生をやっている患者さんのメッカで全国から何百人も体験に来ていました。入院すると玄米食になるので、血圧が下がる、血糖値が下がるなど、患者さんを通して玄米食の素晴らしさがよく分かりました。

この病院には5年いましたが、僕は日野先生の一番弟子で、ずいぶんと目をかけてもらいました。先生は、自然療法だけでは危険がある、西洋医学も大事にしましょうというスタンス。つまり、統合医療、補完医療のはしりです。日野先生からは「玄米食で病気が治ったと言っても誰も信じてくれない。科学的な情報は大事で、血液やレントゲンなど、臨床データを積み重ねていくことが必要だ」と。学会発表や論文など先生には大きな影響を受けました。

シュバイツァー博士に憧れ、えりも町へ。僻地で丸ごと医療≠実践

38歳から4年間は、えりも町(北海道)の国民健康保険診療所に勤務しました。いわゆる僻地医療です。僕はなんと言っても、シュバイツァー博士に憧れているので、医者たるもの、恵まれた大都会にいるばかりではなく、何年かは地域医療に奉仕すべきではと考えているわけです。そして、それはいい経験になった。

そこでは、医者は僕一人。あらゆる科を診なければならない。校医もする。往診をすれば、おばあちゃんに捕まって、3時間くらいお茶を飲んで話し込む。すると家族関係が見えてきて、おばあちゃんがなぜ入院をためらっているのか…。そんなことがわかってくる。東京では、患者さんに生活習慣のアドバイスをすると、ほとんどの人が聞いてくれます。ところがここでは一切聞いてくれない。「もう少し体重コントロールしたら?」と言っても、「ノー」です。けれども、えりも町の人はみんな、体を動かしている。95歳のおじいちゃんも昆布漁に出て、分厚い昆布を引っぱり上げている。いわゆる筋肉太りなのです。

診療所は19床あるのですが、時々「先生、腰が痛いから入院させてくれ」と来る。「空いているからいいよ」と。そのうちに19床満床になるのですが、「昆布漁解禁」となると、0になる。面白いですよね。医療は社会的なものだということがよく分かります。この4年間は、いろんな交流ができ、僕が目指している丸ごと医療≠ノ関しても、少し進化したかなと思いました。

標準治療の手を離れたとしても延命できる可能性はある

最近の医療で僕が気になるのは、データばかり見て、患者さん全体を見ないという風潮。デジタルは全部が0か1で表現されるけれど、人間という生命体をデジタルで捉えることなどできないと思うのです。1個の細胞だって、まだ1%も解明されていない。なのに、そうしたデジタル情報だけで、37兆個の細胞をもつ一人の人間に「あなたは末期がんだから余命6ヵ月です」などと言えるのかと。そんなことを言われたら、うつになっちゃいますよ。

僕はヨーロッパの医療が好きで、よくドイツに行くのですが、ドイツは自然療法が医学部の必修科目になっています。薬草も必修。自然療法の科目もいろいろあります。しかし、ドイツ人のドクターがそのまま実践するわけではなく、やはり西洋医学中心で先端医療に憧れています。それでも、目の前の患者さんが、薬嫌いだったり、食事療法に凝っていたりすれば理解を示します。そのために知識はもっておくべきという考えです。アメリカでも、抗がん剤をやりたくないという患者さんには無理に勧めることなく、やらなくても、「ずっと診させてください」というスタンス。人間理解が深い。そういう教育をしているのです。

ところが日本では、セカンドオピニオンを取りたいと患者さんが言えば、「どうぞ」と言いながらも、内心ではプライドを傷つけられたみたいに感じている。大病院の先生は一生懸命治療してくれるけれど、ステージWで治療不能になると、すごくクールになって「ホスピスに行ってください」と。患者さんの立場からすれば辛いですよね。しかし、自己治癒力すなわち生命力というのは上がり得るものだと思います。標準治療の手を離れたとしても、例えば自ら玄米酵素を食べて、生命力を上げることができれば延命できる可能性もある。QOLが上がることは延命と紙一重であり、延命のその先に治癒があるのです。

医療者の存在価値とは、患者さんを幸せ≠ノしたい

僕はもう50年近く医療に携わってきて、いろんなことを患者さんから教わりました。だから、医療の本質は「交流」だと考えています。多くの著名人とお話ししてきましたが、その言動から何を大事にして生きてこられたかが分かる。つまり、人間性が分かる。一般の人とも同じように交流してきました。そのうえで治療方針を提案します。やはり、医者というのは、目の前の患者さんの多様な価値観にどう寄り添うか。今や「医者は医療のプロだから任せなさい」といった上から目線での指導は古いと思う。もちろんアドバイスはしますが、人間同士対等な関係。だから、僕は白衣を着ていません。白衣を着ると、僕もちょっと威圧的になるかもしれない(笑)。

僕の患者さんは今、9割ががんの方で、末期がんの末期といった方もいらっしゃる。医療には限界があるから、うまくいかない、救命できないケースもある。つまり、肉体的な癒しを求めていらしても、100%リクエストに応えられるわけではない。では、僕ら医療者に何ができるのか。僕はその時、やはり目の前の患者さんに寄り添うことしかないのではないか。治療で肉体的癒しがどの程度起こるのか、生命力がどの程度上がるのか、個人差がある。だから、残念ながら100%の期待に応えることはできないけれど、目の前の患者さんが少しでも幸せになってもらえれば、それが僕ら医療者の価値ではないかと思うのです。

医療の最終目的というのは、心身の癒しでしょう。つまり、体調が良くなってより幸せになること。だから、がんでもし亡くなっても、みんなに愛され、医療者にも愛され、患者さん本人も「自分は幸せだな」と感じて亡くなるのなら、僕らとしては医療者冥利に尽きると思うのです。肉体の癒しにあまりに重きを置くと、人間は永遠には生きないから、医学は敗北します。人生を、日々刻々をどう生きるか。そのために僕ら医療者の存在が少しでも役に立てば、僕らも幸せです。そのための最大限のサポートをさせていただきたいと思います。

水上 治(みずかみ おさむ)
1948年函館市生まれ。1973年弘前大学医学部卒業。東京医科歯科大学医学博士、米国ロマリンダ大学公衆衛生学博士。元東京女子医大非常勤講師。都内総合病院内科勤務等を経て、2007年東京千代田区市ケ谷駅前に「健康増進クリニック」を開業。がんや難病の方々に寄り添う医療を志向。一般財団法人「国際健康医療研究所」理事長として、皆がより健康になる運動を展開中。趣味は読書(哲学・思想)、チェロ、クラシック音楽鑑賞など。著書に『日本人に合ったがん医療を求めて』(ケイオス出版)『がんで死なない最強の方法』(青月社)他多数。