- 玄米酵素で病から脱出!
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株式会社玄米酵素の創業者・岩崎輝明と玄米酵素との出会い、
それは1971年に遡ります。
そのころの岩崎家はみんな身体が弱く、全員が病院に通いづめ。貧血、心臓病、胃下垂、胃痙攣、肋膜炎、アトピー、痔、慢性腎盂炎、果ては深刻な脱水症状で死にかかるなど、まるで病気のデパートのような状態だったといいます。一家の健康保険証の記入欄はすぐにいっぱいになってしまい、毎年紙を何枚も継ぎ足して使うというありさまでした。
そんな折、岩崎は、ある人に
あなたの家族の病気はすべて食事が原因。薬をいくら飲んだって、そんなの枝葉末節だ。食生活を変えなければ治りませんよ
と諭され、まさに目からウロコの思いをします。
食べ物と身体の関係、自然の法則にあった食生活、玄米の優れた成分を科学的に解き明かした内容、その人から聞くことすべてが納得でき、理にかなった話でした。これが、のちに玄米酵素へとつながる最初の出会いとなります。そして、すぐにはりきって玄米菜食に挑戦。
ところがそう簡単にことは運びませんでした。慣れない圧力釜で炊く玄米は調理のまずさも手伝い、どうにも固く……口当たりの良い白米に慣れた家族は早々にギブアップしてしまったのです。
玄米菜食が身体にいいのは間違いないのに、
いったいどうしたら……
思い悩む岩崎のもとにある日、千葉県市原市の酵素研究家・岡田悦次氏が玄米を麹で発酵させることに成功したというニュースが届きます。
納豆のように発酵させているなら消化もいいはず。
これはいけるかもしれない
さっそく、大量に取り寄せて食べてみたところ、3ヵ月もしないうちに、みるみる家族に変化が起こってきました。いつも青白かったみんなの顔に赤みが差し、気力も増し、そして、うれしいことにつぎつぎと持病から抜け出していったのです。あれだけ根深く病と縁の切れなかった岩崎家に、春の芽吹きのごとく健康をもたらした発酵食品、それが玄米酵素でした。
昭和46年、岩崎は飛び立つ思いで千葉へ、玄米酵素の開発者・岡田さんのもとへと向かいます。たどり着いたところはとある倉庫の一角。岡田さんはそこを研究室にあて、ひとつひとつ独力で手作りの研究開発を進めていました。少なからず驚く岩崎に向かって、見るからに学者肌で誠実そのものの岡田さんは、玄米酵素のすばらしさを熱く語りはじめます。
「……イギリスのウイリアム博士によれば人間に必要な栄養素は45種類であること、玄米はそのうちのほとんどの栄養素を含み、食物繊維も豊富なこと、酵素はあらゆる生命現象になくてはならないものであること、発酵によって消化が格段に良くなること……」かつて聞いた「自然の法則にあった玄米菜食が健康を培う」という話、玄米酵素で身をもって実感した身体の変化、岡田さんの信念…。
岩崎のなかで、すべてが一筋の道となって見えた瞬間でした。
玄米酵素をもっと多くの人に知ってもらおう。そして正しい食生活で健康を取り戻すよろこびを広めよう。これこそ生涯をかけるべきものではないかと。思い立ったが吉日とばかり、岩崎はすぐに行動を起こし、勤めていた会社を辞め、その2ヵ月後には、早くも玄米酵素の普及事業をスタートさせたのです。
食事の大切さに気づき、本当の健康を自らの手で培ってほしい
その願いから生まれた玄米酵素。そして同じく株式会社玄米酵素。
以降、当初の熱い思いは少しもゆらぐことなく、それどころか、ますます強く大きく……。
その歩みはゆっくりとですが、今もたゆまず確実に一歩一歩前へ進み続けています。



















