オリンピックから政治の世界へ転身

- 参議院議員橋本 聖子先生

- (株)玄米酵素 代表取締役 岩崎 輝明
肩書きは、取材当初のものです。
今月号は、元オリンピック選手で現在は参議院議員の橋本聖子さんをお迎えしました。聖子さんは東京五輪の年に北海道早来町で生まれ、駒大苫小牧高校から富士急に入社し、スピードスケート全日本選手権10連覇を達成。84年のサラエボ五輪に初出場し、以後四大会連続出場。92年のアルベールビル五輪では1,500mで日本女子スケート界初の銅メダルを獲得、夏は自転車で88年のソウル五輪から三大会連続出場されています。95年の参議院選挙で自民党比例区から出馬して当選し、現在二期目。2004年4月、現職国会議員としては五十年ぶり、二人目となる出産を経て、子育てをしながら「夢を持って努力すれば必ず報いられる」を信条に、優しさが行き渡る社会を目指して活躍しておられます。
女子の世界最多出場を果たす
岩崎 聖子さんはまさにオリンピックの申し子でした。スケートのみならず自転車競技でも出場されましたね。
橋本 自転車3回を含む計7回出場し、女子の世界最多出場者になりました。またカルガリー大会の時はスケートの全種目に入賞しましたが、これもただ一人だそうです。
岩崎 その時は最後のレースで、ゴールに倒れ込んだのが印象に残っています。
橋本 ゴールの時は酸欠状態で意識もなく目も見えませんでした。レースは頑張りきれたところでゴールするのが一番いいんです。もう駄目だという状態でのゴールは一番悪い。見た目には頑張ったように見えても、本当の意味での完全燃焼にはなりません。
岩崎 メダルをとったレースはどうだったのでしょう。
橋本 ひざの手術などでトレーニングが出来ず、体調は万全ではありませんでした。しかし技術的にそれを上回るいいレースが出来ました。
岩崎 聖子さんのお名前はオリンピックにちなんで付けられたそうですね。
橋本 父が、私が生まれた5日後に開かれた東京オリンピックの開会式で、聖火を見て考えたと聞いています。
岩崎 スケートを始めたのもお父さんの影響ですか。
橋本 大きくなったら何になる?と聞かれた時はオリンピック選手と答えろ、と言われて育ったので、ある意味イメージトレーニングをされていたと思います。また本気でオリンピックを目指すための準備は早くやらないと駄目ということで、3歳からスケートと乗馬をやっていました。
岩崎 ご実家は牧場を経営されていましたね。
橋本 そうです。小さい頃から常に牧場の手伝いをしていました。毎朝飲む牛乳も自分で搾乳させられましたし、乗馬も自分の持ち馬をどう飼育するか、自分の心をいかにして動物に伝えるかを勉強させるためだと言われました。
岩崎 厳しかったですか?
橋本 優しくしてもらった記憶はないですね。でも今はそういう育てられ方で良かったと思います。自分の子供が出来て、初めて親の大変さが分かりました。挫折や人生のつらさに出合う機会が多ければ多いほど良い結果につながると思いますが、今そうした厳しさを子供にどう与えてやればいいのか。子供は可愛いし自分を慕ってほしいので、どうしても甘やかしの愛情になってしまうのです。また自分が忙しかったりストレスの強い時は、必要以上に叱ってしまう。逆に絶対怒らねば、という時に自分の機嫌がよかったり、周りに人がいると怒れないということもあります。子供は、同じことをしているのに怒られたり、そうでない時があるととまどいますよね。でも父は絶対そういうことはしませんでした。
岩崎 ぬるま湯ではなく厳しい育て方をなさったお父さんは素晴らしいですね。そういう貴重な経験を、国会議員として人づくり教育に役立ててほしいと思います。国の将来をつくるのは子供です。今は衣食住すべて足りていますが、それがむしろ子供の教育面でマイナスになっている部分もあるかもしれません。
教育から欠落した「食育」
橋本 例えば今は飽食の時代で量は豊富ですが、食べているその中身はひどいと思います。私が小さいころはまだ昔ながらの食生活が残っていました。畑で採れたものをそのまま食べたり、牛乳も殺菌しないまま飲んでいました。
岩崎 それはまさに生命力のある食べ物ですね。今は教育から食育が欠落して、食環境が本当に悪化しています。
橋本 果物や野菜から独特のくせのある匂いがなくなりましたよね。日持ちをよくさせるためだけの改良もよくないと思います。また今はファーストフード全盛ですが、骨の質は20歳くらいまでに作られ、それ以降は食いつぶすだけと聞いたことがあります。小さい頃から、しっかりした食生活で体の基本ができている人が忙しい時に食べるのは仕方ないとも思いますが、基本のできていない人がファーストフードばかり食べるのはどうでしょう。今、文部科学省が子供たちに食をしっかり学んでもらおうと、食に関する教科書を作っています。私も文教科学委員長だったので原案を見せてもらいましたがその中にファーストフードやコンビニの正しい使い方という項目があったんです。これから本当の食というメカニズムを教えようという教科書にそんなものを載せるなんて考えられないことです。
岩崎 知育・徳育・体育と言いますが、食育が一番大事なんですよね。さて、聖子さんはスポーツ界で有終の美を飾った後、参議院議員に転身されました。きっかけは。
橋本 最後のアトランタ大会前、30歳の時に衆議院議員の義理の兄を通じて誘われたのです。私は兄の仕事を見たり選挙活動の手伝いもしていたので、もともと政治には関心を持っていました。また選手時代はリハビリ生活が長かったので、障害を持った子供たちと会う機会も多く、ずいぶん彼らからエネルギーをもらいました。いつか、政治というより福祉の仕事で彼らのお手伝いをしたいという思いがあったのです。会社でも企業メセナ担当課長という肩書を与えられ、スポーツを通して福祉やボランティア活動をする目的のもと、勉強させていただいていました。
岩崎 選手を続けながらお仕事をされていたのですか。
橋本 海外の選手はそれが当たり前なんです。日本では、アスリートはスポーツで頑張ればいいと思いがちですが、スポーツ選手だからこそできる地域への貢献などを考えるべきと思い、勉強をさせてもらっていました。また、私の目標とする旧東ドイツのローデンブルカーという金メダリストは、スケートと自転車の現役選手をしながら市会議員もしていました。だからこの話が来た時は何か運命的なものを感じましたね。アスリートの悪いくせで、ひらめき、直感を感じた時は、すぐ行動に移してしまうのです。本当にいいかどうかはやってみなければ分からない。駄目だったとしても、悪い経験にはならない。情熱を持って政治をやりたいと思っています。
玄米パワーで体調を管理
岩崎 今は参議院の二期目でお忙しい毎日ですね。健康第一。選手時代から玄米酵素を食べて下さっているとか。
橋本 疲労物質を早く体外に出してくれると聞いて食べ始めました。精神的にも自信につながりましたし、かぜもひかなくなりました。忙しいスケジュールで自分でもよく体がもつなと思うことがあるのですが、それも玄米酵素のパワーなのかもしれません。
岩崎 他に健康面で気をつけていらっしゃることは。
橋本 毎日少しの時間でも必ず運動をします。まずストレッチ。柔軟体操ですね。それから腹筋、背筋と、関節周りの筋肉が一気に減らないよう強化に努めています。
岩崎 スポーツ生理学によると、過激なスポーツをする人は活性酸素の発現が多く、そのケアも必要だそうですね。では最後に、聖子さんの人生の夢をお聞かせください。
橋本 どこに行ってもスポーツが楽しめるような環境整備や、全国のグラウンドを芝生にしたいなどいろいろあります。また子供を産み育てやすい環境づくりや、体の不自由な方がもっと外に出て働けるようにするなど、本当の意味での福祉にも力を入れていきたいと思います。
岩崎 私も、趣味で集めてきた陶芸などを展示する美術館の建設や、日本の伝統的な食事を食べさせる自然食のレストランを世界中に開きたいなどの夢があります。そして、この会社を最低300年は持つ事業体にしたいというロマンを持って仕事に取り組んでいます。これからもお互い夢に向かってがんばりましょう。有り難うございました。
(ハイ・ゲンキライフ124号 平成14年12月1日発行 より)